2011年12月22日

モレスキンは最もシュルレアリスムに近い手帳ではないか?

河辺で。

無情な大河を下りながらー 
 もはや船曳きの導きを感じなくなった <アルチュール・ランボー・酔いどれ船>


大阪、中之島のベンチで、ぼうっと渡船を眺めながら休憩してたところ、隣でおっさんがカメラの三脚やらなんか組み立始めた。
見ると、カメラの三脚とは別に、同じくらいの高さのスタンドを並べている。
スタンドの上部は竿が出っ張っており、釣り糸が結わえてある。釣り糸の先にはヤキイモ型の紙を丸めたような塊がある。
どうやらこれを撮りたいようだ。
おっさんはやたらブラブラ揺れるそのヤキイモみたいなヤツの角度を気にしながらカメラを構えている。
一人で全部やってるので、動きがせわしない。
周りの人も、おっさんのやることが少なからず気になっているようだ。特に尋ねるほどのことでもないが。
よく見ると、その塊の表面は雑誌やら何かの切り抜きを不規則に貼り付けている。
これってコラージュじゃないか?
コラージュについて特に知ってるわけでもなかったけど、
最近参加したモレスキンミーティングで、コラージュ作家の作品を見たり、
モレスキンでコラージュを作成する文化があることも最近知ったっため、心に引っかっかった。
興味がでてきた。

「良かったら、いい角度になるように持っときましょうか?」
話しかけられておっさんは驚いていた。
「いや、いいんです。角度はそんなに、、、」
角度は別にいいらしい。

話を聞いたところ、おっさんはコンクールに出す写真を取ってるらしい。
モチーフとして今急速に開発が進んでいる大阪の街をバックに、コラージュのオブジェを被写体とした作品を撮っているということ。


この事で思い出したことがある。
学生時代に読んだシュルレアリスムの内容を説いた本である。

家に帰って引っ張り出してもう一度読んでみたところ。
モレスキンとシュルレアリスムの相関性について思うことがあった。
そして「モレスキンは最もシュルレアリスムに近い手帳」ではないか?という主張が生まれた。





そもそもシュルレアリスムとは?

長くなりましたが本題に移ります。
シュルレアリスムとは、「主観を排除し、客体を超現実的に表現する芸術方針」です。
名称は、シュル(強い)レアリテ(現実)という組み合わせから生まれたフランスの言葉です。

ここで、「超」の意味ですが、「現実を超える」ではなくて、「過剰な現実」という意味です。
「超ウケるんですけど〜」と同じニュアンスです。

シュルレアリスムは現実を過剰に注目することを指針とします。

超現実は非現実ではありません。現実とつながっているから超現実なのです。
これはファンタジーとの差別化となる要素です。
ファンタジーでは、ウサギの穴を通って、A→B に行きますが、
シュルレアリスムでは、A→A' と行った感じです。

そうすると現実って何?ってなりますが、
これは本来、決定的、自明的なものではありません。
本来つかみどころのない時間、空間の中に便宜的に「現実」と称するものを見つけなんとかやりくりしているに過ぎません。
これは人間の主観であって、客観的な(オブジェクティブな)現実ではありません。

そんな主観的な現実(日常)を生活しているうちにフワっと、
見たことのない未知の驚きを呼び起こす(主観以外の)「現実」が現れたとき、それを超現実と呼べるのではないか?
というのがシュルレアリスムの考えです。

ですから主観を排除し、オブジェクトに過剰に注目したようなものが、シュルレアリスム作品の特徴になります。

以上が概要です。


自動速記とコラージュ

「自動記述」と「コラージュ」はシュルレアリスムの2本柱と言えるものです。
それらの説明とともにモレスキンとの関係について説明します。



「自動記述」とは
 あらかじめ書く内容を決めずにかなりのスピードで物事を書いていくというシュルレアリスムの最初の実験です。
半睡状態で換気される不思議さを捕らえようとする目的をもったものでありました。
実験中に幻覚が見えたり。狂気に近づいいたとかいって中止になりましたが。

この実験から、スピードを上げるつき、「私」という単語が消えていったとあります。
そして関連性のない物を表す単語の連続になるという結果がでました。
この実験から生まれた作品は「シュルレアリスム宣言 溶ける魚」という本になりました。
(僕も買ってみたんですが、わけがわかりません。)

これは、シュルレアリスムの要件を満たしてますよね。
「書く」という行為を過剰にすることで、日常を脱し、主観が排除されためけです。その結果オブジェクトに注目することになった。


ユビキタスキャプチャーはどうでしょうか?
これは、「書く」という行為を習慣にするものです。
これは動作が伴いますが、モレスキンはシンプル、タフで自由度があるため、すぐとりだして書く行為に適しています。

ユビキタスキャプチャーのが、心の動きを書き留める行為をより迅速に行うことを目的とするならば、、
その速度増した場合、当初の目的以上の記載が起こりえるのではないでしょうか?
そこに露呈してくる主観を超えた突発的な単語は、時として露呈する現実(日常)に内包された超現実でなないでしょうか?


「コラージュ」とは
既製の図版を切り取ってきて、それを別の図版に貼り付けてできる作品です。
これも自動記述の実験と同時期に発見され実験されました。
最初にやった人は、相関性のないカタログやら、図鑑の挿絵を眺めているとそれらの幻覚が自分にとりついてきたと言っています。

これも自動記述と似てますよね!主観性の排除、オブジェクトの強調の要件も満足します。

モレスキナーもコラージュ作家が多くいてコミュニティを形成してます。
なんで、モレスキンと親和性が高いのかは、ちょっと僕はやらないんでわからないので今後聞いてみたいところですが、結果として確かにあります。

ここで、コラージュはシュルレアリスム作品においてキーワードとされる「デペイズマン」が顕著に表れている表現であります。
「デペイズマン」とは、本来あるべき場所にないものを出合わせて違和を生じさせることです。
シュルレアリズム絵画なんかこういった表現ですよね。写実的なのに、位置や空間を無視してる。

例えば小便器に他人のサイン書いて美術館に展示した作品のどこが芸術なんだ?って感じですが、
これもあるべきでない場所に便器がある。美術館との関係でデペンズマンを表現した点で芸術性があるということです。


以上が、シュルレアリスムの大きな要素である「自動性」「デペイズマン」と僕の出会ったモレスキンの主用途の相関です。



河辺で、続き

おっさんは大阪の街を背景にコラージュのオブジェの撮影を続けた。
これが、シュルレアリスム表現であるなら。
近年の大阪の急ピッチの開発はおっさんにとって主観で追いつけないくらい過剰な現実なんではないだろうか。

シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫) [文庫] / 巖谷 國士 (著); 筑摩書房 (刊)
posted by eatsoba at 00:56| Comment(0) | モレスキン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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